ネズミサシ

ネズミサシ全体_s
ヒノキ科の常緑樹(じょうりょくじゅ・1年以上枯れない葉を持つ木。冬でも枯れない)。日当たりのよい丘や花崗岩(かこうがん・こういう岩の種類。花崗岩からできている土の地面の山や野がたくさんあるのだ。花崗岩以外にも火山の爆発などによっていろいろ岩の種類が生まれ、それがそれぞれ山や野の土になって、その上に土に合った木や草が生えているのだ。長くなったがネズミサシは花崗岩でできた土に合った木といえる)の地面に生える木です。

高さは17メートル、直径は1メートルになります。皮は黒っぽい灰色でたてにさけてはがれる特徴があります。葉は長さ1.2~2.5センチの針のような形で、先はとがっていて痛いです。4月ごろお花とめ花が咲きますが、お花はだ円形で、め花は卵形と形が違います。また、丸い実がなりますが、最初は緑色をしていて、なった翌年か再来年の10月ごろに黒紫色に熟します。

このネズミサシはまたの名をネズ、ムロノキといいます。そしてこの木の最大の特徴はとがった葉といえると思います。下の写真のように葉は1つのふしから多く出ていますが、このような葉のつき方を輪生(りんせい・1つのふしから3枚以上葉が生える植物だが、輪っかのように葉が生えるからこういうのだ)といいます。他に輪生の葉のつき方をしている植物にアカネがあります。(アカネも里山の植物図鑑参照)

ちなみにこのネズミサシを大伴旅人(おおとものたびと)という奈良時代の歌人で役人が歌にしましたが、この歌が万葉集(まんようしゅう)という奈良時代の歌集にのっています。

吾妹子(わぎもこ)が見し鞆の浦のむろの木は 常世(とこよ)にあれど見し人そなき

吾妹子(私の妻)といっしょに見たムロノキは今もあるけど、いっしょに見た妻はもういない、という意味です。奈良時代に旅人は仕事で筑紫(ちくし・今の福岡県)に転勤することになり、住んでいた当時の都(首都のこと。今では東京である)の平城京(へいじょうきょう・今の奈良県)から、妻といっしょに筑紫に行く途中、鞆の浦(とものうら・広島県福山市鞆町にある港)に生えていたムロノキ-ネズミサシを見ました。しかし、後に妻がなくなり、また平城京に帰る途中に鞆の浦のムロノキ-ネズミサシを見て、妻のことを思い出しているわけです。あるもの、思い出のものを見て死んだ大切な人のことを思い出す、これは昔も今も、日本や外国に関係なく同じようですね。

このネズミサシは常緑樹で、1年以上かれない葉を持つ木です。常緑樹は冬でも葉は枯れませんが、全く枯れないわけではありません。夏になると葉が落ちてその後に新しい葉をつけるのです。こうしていつも葉がついているように見えるのが常緑樹です。一方、冬になると葉が落ちるのが落葉樹(らくようじゅ)ですが、葉が落ちても何もないわけでなく、木の中に栄養をためて、冬芽(ふゆめ)という芽を出して春に花や葉を出す準備をしているのです。まあ、常緑樹でも落葉樹でもいつまでもなりっぱなしでは衰えるわけで、内も外も新しく変えないと生きていけないわけですね。人間もそうですね。いろんな意味で。(そういえば「青い山脈」という歌の歌詞に古い服を捨てて新しく生きていこうなんて歌詞があったっけ…私はその世代の人間ではありませんが)

ネズミサシ_s

コメントを受け付けていません。