サワヒヨドリ

日当たりのよい湿地や水田の周囲の湿った草地などに生える40~90センチのキク科の多年草(たねんそう・芽が出て枯れるまでの期間が2年以上の植物。一度枯れても根は生きていて、また芽を出す)。漢字で書くと「沢鵯」。

茎はまっすぐ伸びて枝分かれせず、上の部分に毛がかたまって生えています。葉は針のような形で対生(たいせい・2枚の葉が対になって生えること)し、表面は毛が多くざらついていて、ふちには不規則にぎざぎざがついています。8~10月に白や薄い紅紫色の花が複数かたまって咲きます。このサワヒヨドリは秋の七草のひとつであるフジバカマと似ています。違う点はフジバカマの葉は葉が3つに分かれているのに対し(三つまたの矛<ほこ>に似ている、と言うのがいいかもしれません)、サワヒヨドリは葉は1枚で、分かれていません。また、ヒヨドリバナにも似ています。(同じ里山の植物図鑑のヒヨドリバナの項を参照)

この花は朝鮮半島や東南アジア、インドにも分布し、アジアの花といえるでしょう。我々日本人のほか、ほかの国の人々もこの植物を見て、どんな想いを持つのでしょうか。国やその文化によって想いやとらえ方が違うかもしれません。ちなみにこの花の花言葉は「ためらい」です。いったい何のためらいでしょうか。恋についてのためらいでしょうか。この花を見るといろいろ想像できるような気がするのは私だけでしょうか。

また、このサワヒヨドリを詠んだ短歌が奈良時代の歌集「万葉集(まんようしゅう)」にあります。孝謙天皇(こうけんてんのう)が作った短歌で、「この里は 継ぎて霜や置く 夏の野に 我が見し草は もみちたりけり」です。この里は年中霜が降りるのでしょうか。夏でも霜が降りるのでしょうか。夏の野で私が見た草(サワヒヨドリのことで、当時は沢蘭<さわあららぎ>といった)は色づいていましたよ、という意味です。この短歌は孝謙天皇と光明皇后(こうみょうこうごう・聖武天皇<しょうむてんのう>の妻)が奈良時代の政治家・藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)の家に行ったとき、黄色いサワヒヨドリを摘んで、仲麻呂にあげた、この時に孝謙天皇がこの短歌を作ったと万葉集で紹介されています。天気や植物について孝謙天皇や藤原仲麻呂らが語り合う光景が目に浮かんできます。昔の日本人は政治家や一般の国民を問わず植物など風景を語り、それらに自分の思いを重ねたり、大切な人に思いを伝えたりしたものです。

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