ヒガンバナ
人里に近いところ、道ばたに群生するヒガンバナ科の多年草(たねんそう・芽が出て枯れるまでのいわゆる一生が2年以上ある植物)。昔、中国から渡来したものが広がったといわれています。この花から田んぼの稲と赤いヒガンバナという秋の風景を思い浮かべる方もいるかもしれません。秋の彼岸のころ花が咲くのでこの名がつきました。別名マンジュシャゲ。
9月の彼岸(ひがん)の季節(9月下旬、秋分の日のころにあたる)に長い茎の先に赤い花が輪の形に咲きます。花が枯れた後は幅6~9ミリ、長さ30~50センチの細い葉が生えて冬を越し、次の年の春に枯れます。9月下旬に里山の池近くに紅白の(白いヒガンバナもあります。シロヒガンバナノの項目参照)ヒガンバナが並んで咲いていました。(2012年のことです)
奈良時代の歌集である万葉集(まんようしゅう)にこのヒガンバナを詠んだ短歌があります。奈良時代の歌人・柿本人麻呂作で、「道の辺(へ)の いちしの花の いちしろく 人皆知りぬ 我(あ)が恋妻は」です。道ばたに咲くヒガンバナ(いちしの花はヒガンバナのこと)のように、私の愛する人のことがはっきりと皆に知られてしまった、という意味です。ヒガンバナは真っ赤で人目につきやすく、そのことを自分たちの恋愛に重ねて歌ったのでしょう。これを詠んだときの人麻呂の気持ちはどうだったのでしょうか・・・花言葉は旅情。これがどういう旅を指しているのかわかりませんが(普通の旅なのか、彼岸<あの世>への旅なのか)、何か故郷を思わせると感じるのは私だけでしょうか。
地中にある鱗茎(りんけい)と呼ばれる地下茎(ちかけい・地中に埋まっている形の茎<くき>。根に見えるが実は茎である)はアルカロイドという毒の成分を含むが、昔、飢饉(ききん・農作物が育たずに食べ物がなく、人々が苦しむこと)の時には水によくさらして毒を抜き、でんぷんをとって食用にしたそうです。飢饉の時の人々の切実な思いが感じられるようですが、今は飢饉というわけでもないし、まねはやめておきましょう。また、この鱗茎がノビルという食べられる植物に似ていることにも注意しなければなりません。
この白いヒガンバナはシロバナヒガンバナ、シロバナマンジュシャゲとよばれる上の写真の白いものです。10月ごろにヒガンバナのような花が咲きますが、こちらは黄色あるいは薄紅がかった白い色をしています。また、赤いヒガンバナのように花びらが反り返っているが、反り返り方は大きくありません。この植物も花が枯れた後、細い葉が出て冬を越し、次の年の春に枯れます。また、少数だが黄色いヒガンバナもあります。(2013年9月、私は自宅の近辺で黄色いヒガンバナを見ました。皆さんは黄色いヒガンバナを見たことがあるでしょうか)
余談ですが、ヒガンバナというと秋、彼岸を連想する方が少なくないと思いますが、人によってはお葬式を連想するかもしれません。好きな方には申し訳ないですが、私はこの花は好きではありません。あと、赤白のヒガンバナは並滝寺池のそばに生えていますが、私自身は池のそばのヒガンバナ、という風景は絵にしたらいいんじゃないかという気がします。(ちなみに私にこういう絵のセンスはない…)